OzKoi, オーストラリア人権問題

多様な民族が暮らす「多民族国家」オーストラリア

多様な民族が暮らす「多民族国家」オーストラリアOzkoi

様々な文化と民族が集まる多民族国家のオーストラリア

オーストラリアは戦後、海外からの移民を積極的に受け入れ、住居者の4人に1人が移民という比率が政府の統計で出ています。その民族数は500を超えていてオーストラリアは世界の中で8番目に移民族が暮らす多様社会の国だといわれています。

様々な民族が暮らしているオーストラリアは食べ物や文化、信仰、言語なども多種多様です。

元々イギリスの植民地だったオーストラリアは1901年に連邦国として独立しました。植民地化される前は先住民のアボリジナル・ピープルが5万年以上も前から暮らしていました。

その後、民族が多様化したのは第一次世界大戦、第二次世界大戦後の経済の悪化や人口減少などの深刻な社会問題を抱えたことが始まりでした。この問題を解消するためにオーストラリアはヨーロッパ、アジアなど海外からの移民を積極的に受け入れる体制をとりました。

更に1850年代、ゴールドラッシュがあり、ニューサウスウェールズ州やビクトリア州で金が発見され、一攫千金を狙った人々がヨーロッパ、中国、アメリカからの自由移民を始めました。

ゴールドラッシュが始まったころは9万7千人だった人口が、10年後の1860年には53万9千人にも膨れ上がったと言われています。

オーストラリアへ住み続けた移民者

こんなことから、多くの移民者はそのままオーストラリアに住み続けその後、第一世、第二世と世代をつなげています。

第二世、第三世代の子供達は、両親の出身がアジア諸国であろうとヨーロッパ諸国であろうと、オーストラリアで生まれ国籍を持った場合、オーストラリア人なのです。ですから様々な国のバックグランドを持ったオーストラリア人が暮らしています。

例えば、アジアの人がネイティブ英語を話していて、この人はオーストラリア人?と思う場合は「あなたのバックグランドはどこですか?」と聞くことは失礼ではありません。なぜなら、その質問はその人の出身や背景を訪ねる質問であって特に攻撃な質問ではないからです。またオーストラリア人は多民族国家なのでこのような質問にも慣れています。

海外からオーストラリアへ移住してきた第一世、第二世代以降の人達は自分達の母国を誇りに思っている人達がほとんどです。「あなたのバックグランドはどこですか?」という質問に対して、中国人だよ、イタリア人だよ、とその人の背景や故郷のことなども話してくれるかもしれません。

職場、教育機関、公共の場にも導入されている多民族、多文化を受け入れる教育

オーストラリアでは学校で授業を受ける子供達、また教育をする側も、オーストラリアのカルチャーがDiveristyであり、様々な人種が暮らすオーストラリアには異なったカルチャーがあることを学びます。

なぜなら、学校に通っている子供達も職場で働く人達も異なるバックグランドを持っているからです。

17世紀末のイギリス植民地支配後にオーストラリアへ移り住んできた国はイギリス、アイルランド、スコットランド、ニュージーランド、中国、アフガニスタン、パキスタン、トルコ、戦後の19世紀には、オランダ、ドイツ、ギリシャ、イタリア、その後もベトナム、インドネシア、コロンビア、スペイン、中国、インドなど様々な国の人達が移り住んできました。

下のポスターは「あなたと一緒に暮らしている家族は?」という内容のポスターですが、シングルファーザー(One dad)であったり、お母さんが2人いたり(Two mums)など、家族にも様々な形があっていいということを伝えるようなポスターもコミュニティーの場所に貼ってあります。

このポスターは色々な形の家族構成があっていいという内容ですが、このポスターの絵からも民族の多様性を受け入れようというメッセージが伝わってきます。

このポスターは様々な形の家族構成があっていいという内容ですが、ポスターの絵からも民族の多様性を受け入れようというメッセージが伝わってきます。

オーストラリアに残る白豪主義

それでは、オーストラリアに移民して来た人々に対して差別というもは全く存在しないのでしょうか?

オーストラリアには元々アボリジナル・ピープルという先住民が約5万年以上も前から暮らしていました。その後、17世紀にイギリスの探検家によって大陸を発見され、先住民の迫害と植民地支配が始まります。これにより当時100万人いたアボリジナル・ピープルは約7万にほどまでに減少してしまいました。

更に19世紀頃まで入国に関する人種の規制をしていなかったオーストラリアは、ゴールドラッシュ後に驚異的に増えた中国人に対して反発が起こり始め、1901年、非ヨーロッパ系移民の受け入れを困難にする「白豪主義制作」を連邦会議で決定します。

その政策は1975年まで続きましたが人種差別禁止法の制定により終止符を告げます。

今ではおおらかでとてもフレンドリーなイメージの強いオーストラリアですが、もちろん全てのオーストラリア人がそうとは言い切れません。戦後の苦い思いや、未だ白豪主義のなごりが見れられ、中には「アジア人」と一括りにして嫌う人もいますし、ヨーロッパの移民者に対しても差別的な扱いをする人も全くいないわけではありません。

それでもこんなに沢山の人種が集まった多民族国家のオーストラリアは、移民者や外国人に対してとても柔軟で、それぞれの国のカルチャーを理解したり受け入れようとしている人達が多いなと私自身は感じでいます。

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 

マスクをしないオーストラリア人にマスク着用義務化!について書きました。
コチラ>>>新型コロナウイルス感染拡大により、メルボルンでマスク着用義務化!